2019年11月15日金曜日

【The Japan Times】分析記事:AKB48型戦略のグローバル化 (BABYMETALにも言及)


スキャンダルと上昇するセールスによって、日本で10年間、AKB48が君臨

PATRICK ST. MICHEL著

このような事を述べるとは思わなかった。AKB48は、この10年において、最も影響力のある音楽家だ。

待ってくれ。聞いて欲しい事がある。

J-popの世界は、2010年代の始まりを、他より少し早く目にしていた。それは、正確には2009年10月21日だ。その時、AKB48がシングル「River」の発売によって、チャート1位を獲得したのだ。J-popの10年は、早く終わったという異議も同時に唱えておきたい。それは、事実、今年にだ。音楽的権威ジャニー喜多川が6月に亡くなっただけでなく、3月14日、AKB48は、どのメンバーが最もスポットライトを浴びるのかを決める為のSenbatsu[訳注:選抜]総選挙を、過去10年において初めて開催しない事を発表したのだ。

このプロジェクトのコンセプトとは、東京の秋葉原というエレクトロニック・ワンダーランドを基とした衣装を着た48人のメンバー達を擁したもので、今では109名の若い女性がAKB正規メンバーであり、数百人を超える姉妹グループメンバーがアジア全土に広がっている。そして2009年10月21日から2019年3月14日の間、そのポップスグループは、邦楽と日本のポップカルチャーを巡る論説の大部分を支配してきた。肯定的な意味でも、否定的な意味でもだ。

まず、肯定的な面から述べよう。セールスという点において、そのポップス界の巨人は、日本で最も売上を上げた女性アーティストになり、史上2番目の売上を上げたアーティストでもある。それは、「River」から始まり、この8月の「Sustainable」に至るまで、続けざまにオリコン1位を獲得してきた事によるものだ。露出の点では、AKBファミリーのメンバーは、数え切れない程のコマーシャル、雑誌、そしてTVやラジオ番組に登場している。媒体を何か思い浮かべてみれば、そこはAKBが既に征服していると言える。

そのグループは、成長するアジア市場で、J-popの柔軟な力を示している好例でもある。姉妹プロジェクトは日本中で発足(SKE48、NMB48等)しているだけでなく、ジャカルタ(JKT48)、バンコク(BNK48)、他にも様々な場で発足している。AKB48の代表は、2012年の春にワシントンD.C.も訪れており、首都にある桜の100周年を祝賀した。昨今の記憶の中で、最も奇妙なポップス外交の1つである(残念ながら、WDC48には恵まれていない)。

AKB48の蔓延にまつわる、よりネガティブな議題として、過去10年においての最大のスキャンダルの幾つかを、そのグループが引き起こしたという事がある。2013年にデート現場をおさえられた事で、髪を剃り、涙ながらにYouTubeで謝罪をした峯岸みなみの事や、2019年に山口真帆への暴行への対応を誤った件などが含まれる。日本のエンターテイメント産業の道徳面での怪しさを更に強調すれば、AKB48は、日本の社会において、日本人女性が制限され、そして悪用されている体験を、一纏めにしたものでもある。例として、そのグループの曲は10代女性の生活を反映したものとされているが、それを書いているのは60才の男性クリエイター、秋元康だ。

AKB48が、2010年代を決定づける音楽アーティストとして記憶されるべき本当の理由とは、その音楽スターダムへのモデルへと、ポップスの世界が大いに傾いているからだ。ある時においては、世界規模でも奇妙かつ旧態然としたものと見られていたプロジェクトが、実のところ他より先に進んでおり、現在では当たり前の事となった親近感の上に形成されるファン体験へのシフトを、予期したものだったのだ。

AKB48のメンバー達は「会えるアイドル」として売り出されている。いつの日もポップスとは、リスナーがスターと繋がる事の上に作り上げられており、音楽は橋として機能してきていた。1990年以降の「J-pop」という言葉が知れ渡った時代になると、Idol(Aidoru)達は、音楽を主目的とせず、大きな全体像の一部として捉えはじめ、様々なプラットフォームに関わりはじめた。秋元によるAKB48プロジェクトは、その傾向を次の極端な方向へと進めたものだ — そのグループの若い女性達が、自前の劇場で毎日公演をし、ファンたちはお気に入りのアイドルと、確立されたアーティストとの間では不可能なような、何らかの身体的接触の機会を得る。そこには、メンバーたちが、ほぼ何もできないでいるようなパフォーマーだった頃から、洗練された存在へと成長していく過程を見る機会も含まれている。それは宇多田ヒカルや浜崎あゆみが、ほぼ完璧な存在として文化を支配した、過去10年のポップスへの回答だ。それらアーティストは高みの存在だったが、AKBの目線は地続きだったのだ。

「ファンとグループのメンバー達は感情的旅路を共にする。その旅路には、マーケティング、マネージメント、商業的要素からなるレールが敷かれていようとも、女の子達自体は誠実だ、と信じる事が出来るのだ。」2013年のThe Japan Timesにて、音楽ジャーナリストIan Martinが述べている。

そのグループの素晴らしいセールス統計は、主流消費者ではなくハードコアなファンを優先したアプローチによるものだ。多くのCDには、握手会用チケットやSenbatsu選挙用投票券等のオマケがバンドルされている。お気に入りを支えたいサポーター達は、同じシングルやアルバムを複数買いする — 後に、彼らは捨てる事もあり、ある福岡のファンは山の中に585枚のCDを置き去った。

AKBプロジェクト全体は、音楽より、多数以上に力を行使可能で、一般の総意には近くもない少数の存在するマーケットへの、不公平に見えるアプローチを通じ、幻想を持続させる事に重きを置いている。この事によって、日本内外を問わずAKB48を音楽にまつわる奇妙な存在と見る要因になっている。西洋で人気のあるTaylor Swiftや、ラッパーのTravis Scottは、そのような事は決してしなかった — 彼女たちも、その先の何年かの間にやる事になったのだが。Swiftは最新アルバム「Lover」で、4つのデラックス・エディションを売り、それぞれに異なる「日記の一部」という大ファンが欲しがりそうなものを同梱し、Scottはアルバムにグッズをバンドルした。どちらのアーティストもセールスを爆発的に伸ばした。秋元も誇りに感じる事であろう。

2010年代が続く中、音楽と実態のあるグッズや、独占アクセス権と組み合わせる例は一般的になってきており、熱狂するファンは、それらを手にする為に複数枚を購入している。 [Super Mのアルバム7枚の背表紙を合わせるとグループロゴになる写真と、同じようにロゴを作って共有するようにファンに促すインスタポストへのリンク。] アルバムセールスの増加は、— 簡単に操作が可能な測定方法によるストリーミングサービスを含み、既に四苦八苦している — チャートにも影響を及ぼしており、実際にアーティストが人気があるのかどうかを、いかに判断すれば良いのかという議論を呼んでいる。

秋元は、AKB48を用いて音楽産業がどのように機能するのかを実験したのだ。その全てが成功したわけではないが — 「AKBと赤ちゃん作ろう」プロモーションキャンペーンは、有り難い事に時間と共に消えていった — 、2010年代の音楽が到達するであろう道に、彼は誰よりも早く真っ向からたどり着いていたのだ。他の日本の音楽産業が、概してリスクを取らない中、それは素晴らしい事である。ついに「ファン軍団」と呼ばれるようになったサポーター達は、チャートのトップへと(そして、いつの日にかは大統領執務室へと)エンターテイナー達を押し上げる事が出来るようになり、その成功体験の中で、所有感を増していく。今、パフォーマー達は、Twitter、Instagram、Cameoといったアプリを通して、ファンとの近しい関係性を維持する必要があり、それはAKBの実在する劇場のデジタル版に過ぎない。

アーティストの旅路の中、秋元が焦点を合わせた点とは、一方で予言的であった事も証明されている。AKBとは、デビュー前に完璧さを求めて何年もの訓練を経るK-pop第2世代への回答であったかもしれないが、世界的ステージで成功を得たのはBTSであった。勝ち目のないグループというストーリーによって、彼らがその頂点へと登るプロセスを、ファンは一体となって感じる事ができたのだ。

きゃりーぱみゅぱみゅやBabymetalといった他の国産アーティストは、AKB48とは比べ物にならない程の注目と称賛を日本国外で獲得しているが、彼女たちの広まりがバイラルである性質から、彼女たちの成功は常に制約を受けている。J-popのヘビーウェイト級である宇多田ヒカルは、批評的にも称賛を受ける音楽を制作しているが、産業へのアプローチは2019年というより2009年に近いものだ。乃木坂46や欅坂46でさえ、より社会を意識した歌詞を書いているが、それらもAKB48がまず登場していなければ、存在しえなかった(部分的には、それぞれのグループは公式に認められたライバルであるからだ)。

AKB48は公式に終わったわけではないが、そのグループによる10年の支配は、一時は征服下にあったオリコンチャートの信頼性に対し、音楽ファン達に疑念を抱かせる事となった。今やファン軍団は一般的なものとなり、より献身的である事が良しとされる。これらはソーシャルメディアとリアリティTVの到来によって、自然と発生したものかもしれないが、少なくとも日本においては、前線で変えてきた秋元とAKB48を認められるのだ。

ソース;https://www.japantimes.co.jp/culture/2019/11/15/music/scandal-stellar-sales-akb48-dominated-decade/

3 件のコメント:

  1. AKB等が変えてきた事によって音楽が正当に評価される場が失われてしまった。
    でも最近若者に支持されているという米津、あいみょん、髭男、キングヌー等は楽曲が評価されているようだからまだ音楽に対する望みはあるかも。

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  2. そう信じたいですね。
    でも多分、音楽は音楽として評価される世界に戻る気がします。

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  3. 海外の評価にたいしてのくだりで、BTSにたいしての評価をというのは、ちゃんとした分析できてないみたいだな....国家介入工作で獲得した成功を正当に評価出来るのかという疑問は涌いてくる

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