2019年6月30日日曜日
F. Heroによる長文Instagramメッセージ
ある日の午後。マネージャーから日本人からメールが届いている、と連絡を受けた。
送信主はKey Kobayashi。コラボレーションの為に会いたいと言っている。
そのEメールで彼は「日本のガールズバンドBABYMETALのプロデューサー兼マネージャー」と名乗っていた。
そのコラボレーションを熱望したことは言うまでもないことだが、気持ちを高めすぎないようにもしていた。
ただの騙りかもしれないのだから。
すぐ妻のBelleにKey KobayashiについてGoogle検索するように伝えると、彼こそが本当にBABYMETALの創設者である事がわかった。写真に映る彼は、あたかも長髪で髭を生やしたギャングスターのようで恐ろしい。
マネージャーを通して連絡を取り、彼に会う約束を取り付けた。その日、KobaだけでなくMr. Takeshiにも会うことになる。
とても感じの良い2人は、以前に抱いていたギャングスタイメージとはかけ離れていた。
双方で雇った通訳を通じコミュニケーションをとる。結論として、Mr. KEYは夏をテーマにしたBABYMETALの新曲で私をフューチャリングしたいという話で、デモを披露してくれた。一曲を通して歌詞はグロウルのPAPAYAまたはタイ語のมะละกอしか存在せず、ボーカル抜きのポップなメロディーが相混ぜになっていた。
すぐに理解が及んだ私は彼にPapayaサラダについての曲を作ろうとしているのかと聞いたところ、答えはYES。タイの古典音楽หมอลำを取り入れればクールだし、タイと日本を繋ぐ正統なプロジェクトになると提案した。
Mr. KeyとMr. Takeshiを、凄腕の生楽器演奏家でもある伝説のプロデューサーMagに紹介した。
彼がこのロックソングで使うタイ・ハープとタイ・フルートのアレンジを担当するプロデューサーになり、彼自身がStudio28にてレコーディング。当日にはMr. KEYとMr.Takeshiがレコーディングの指揮を取るために日本から来てくれた。
その頃、私は何故ワールドクラスのアーティストであるBABYMETALがPapayaサラダについての曲を作り、無名のタイ人ラッパーを曲で使いたいと思ったのか自問自答していた。彼女たちのようなインターナショナルレベルのバンドなら、あらゆる有名ラッパーを選べるのだから。
極最近、ある予期せぬ事件が起きるまで、その答えは明らかにならなかった。
横浜アリーナで初披露と同時に私を紹介し、同日に発売する予定だった曲がリークされたのだ。
BABYMETALというバンドは過去どんなフューチャリングゲストも迎えた事がない。ファン達は私の名に疑念を抱いた。多くがBABYMETALには釣り合わないと言い、Twitter上の私に関するヘイトスピーチが止む事はなかった。
その時からワールドクラスバンドに自分は釣り合わないと思い込みはじめたんだ…
タイに限ったとしても自分よりインターナショナルレベルに釣り合うラッパーはたくさんいる。
私がこの反意に逆らうことは、タイラッパー達にとっての恥になってしまう事を恐れていた。
横浜の3日前、自分は身を引きラップパートをカットしてもらうように伝える考えでいた。
親友のStampにこの気持をメールで伝える。
するとStampが私を正気へと戻す一文が届いた。
「君が最も大切にするべきなのは、君を選んでくれた人のことじゃないかな。」
「バンドが君を選んだんだ。プロデューサーが君を選んだんだ。」
「BABYMETALは世界の頂点にいる。彼女たちなら世界中のあらゆるラッパーを選べたんだ。ケンドリック・ラマーを選ぶこともできたはずだ。でも彼女たちは君を選んだんだよ。」
これこそが私が潔く横浜アリーナにたった理由だ。StampがMr. Keyが私に送ってくれた初めてのメールを思い起こさせてくれた。その発端から彼が私をいかに敬意をもって接してくれていたか、タイの楽器を使うという自分のアイディアを受け入れてくれた事、タイ語でのラップを受け入れてくれた事、彼にとって重要な作品に全くもって一般的でない言語を受け入れてくれたという事を。
私が大切にすべきなのはMr. Key、バンド、私に敬意をはらってくれたチームだ。
初日、ステージに立つ直前、私はパニック状態にあった。Mr.Keyは私の肩を叩き、英語で語りかけてきた
「You are my pride (僕は君を誇りに思う)」
これこそ、なぜ私でなければならず、なぜPapayaサラダでなくてはならなかったのかの答なのだろう。
その言葉は2本のライブが終わるまで、自分の中でこだまし続けていた。
2本のライブ後、まるで魔法のようにヘイトスピーチはほぼ皆無となっており、感謝、称賛、そしてリスペクトのメッセージが英語、日本語、はてはアラビア語で届いていた。
皆が無名のラッパーである自分のタイ語のラップについて述べているんだ。
私は明日タイへ帰国する。
この人生における最も重要な日を経験させてくれた事に感謝している。
絶対に忘れない。
人生で最も恐怖していた日を共に歩んでいてくれた家族、チーム、MovとBallに深く感謝する。
ステージに立つ寸前の事を思い出す。イヤーモニターをつけた自分には何も聞こえず、そこには呆然とした虚ろな感覚だけ。
MovとBallが私のもとに駆けつけ、肩を叩き正気へと戻してくれた。
その時、背中を押されるという事の意味を理解したんだ。
ソース:https://www.instagram.com/p/BzTnRh6loDR/